7 地位降格,減額などに伴う賃金請求
(1) 地位降格,減額などに伴う賃金請求とは
ア 地位降格,減額などに伴う賃金請求とは,従前受給していた賃金と地位降格,減額などに伴い減額して受給した賃金との差額の支払や,今後受給する予定の従前受給していた賃金額の支払を請求するものです。
イ 訴訟により地位降格,減額などに伴う賃金を請求する場合に賃金のみを求めるときの請求の趣旨は,「被告は,原告に対し,金●●円(既発生分)及び令和●年●月から本判決確定の日まで毎月●日限り金●●円及び各支払日の翌日から支払済みまで年3分の割合による金員を支払え。」となります。
ウ 訴訟により地位降格,減額などに伴う賃金を請求する場合に賃金のみならず地位の確認をも求めるときの請求の趣旨は,「原告が,被告に対し,●●部門●●部●●課長(または被告の定める資格級●級)であり,かつ,月額基本給●●円(及び職務手当●●円)の支払を受ける地位にあることを確認する。」,「原告は,被告に対し,被告の定める資格級●級で,職能給月額●●円の支払を受ける地位にあることを確認する。」などとなります。
エ 地位降格,減額などの処分を受けた後に解雇されるケースも散見され,このような場合の請求の趣旨は,「原告は,被告に対し,●●部門●●部●●課長(または被告の定める資格級●級)であり,かつ,月額基本給●●円(及び職務手当●●円)の支払を受ける雇用契約上の地位にあることを確認する。」などとなります。
(2) 賃金減額事由
賃金減額事由には,以下のア~カがあります。
ア 懲戒処分としての減給
イ 降格(懲戒処分としての降格を除く。)に伴う減給
ウ 就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づく減給
エ 就業規則の変更による減給
オ 労働協約による減給
カ 労働者の同意または合意による減給
(3) 前記(2)アの「懲戒処分としての減給」
ア 懲戒処分としての減給とは
(ア) 懲戒処分としての減給とは,労務遂行上の懈怠や職場規律違反に対する制裁としてなされるもので,本来であればその労働者が現実にした労務提供に対応して受けるべき賃金額から一定額を差し引くことをいいます。
この懲戒処分としての減給は,雇用契約上の賃金額を将来に向けてより低額に変更する措置とは異なります。
(イ) 懲戒処分としての減給には,懲戒処分としての降格とともに言及がなされる場合もあります。
イ 懲戒処分としての減給の無効原因
懲戒処分としての減給の無効原因には,以下の(ア)~(ウ)があります。
(ア) 強行法規規定違反
(イ) 就業規則に懲戒事由の定めがないこと等
(ウ) 解雇権の濫用
ウ 前記イ(ア)の強行法規規定違反
懲戒処分としての減給の無効原因となる強行法規規定違反としては,労働基準法第91条(就業規則で,労働者に対して減給の制裁を定める場合においては,その減給は,1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え,総額が1賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超えてはならない。)の存在に留意しなければなりません。
同規定に違反する懲戒処分としての減給処分は違法となります。
エ 前記イ(イ)の「就業規則に懲戒事由の定めがないこと等」
(ア) 労働者は,使用者と雇用契約を締結したことによって当然に企業秩序遵守義務を負います。
しかし,企業秩序遵守義務違反に対する懲戒権は,あらかじめ就業規則に懲戒の種別及び事由並びに手段を明示してはじめて行使できます(国鉄札幌運転区事件・最三小判昭54.10.30民集33巻6号647頁,JR東日本高崎西部分会事件・最一小判平8.3.28裁判集民178号1113頁,フジ興産事件・最二小判平15.10.10裁判集民211号1頁参照)。
そのため,就業規則が制定されていない場合や,就業規則が制定されていたとしてもその就業規則には懲戒の種別及び事由並びに手段が明示されていないときには,そもそも懲戒処分としての減給が有効になることはありません。
(イ) 就業規則が法的規範として拘束力を有するようになるには,その内容について,就業規則の適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続がとられていなければなりません(前掲最二小判昭15.10.10参照)。
(ウ) 懲戒当時使用者が認識していなかった非違行為は,特段の事情がない限り,当該懲戒の理由とされたものではないことが明らかであるから,その存在をもって当該懲戒の有効性を基礎づけることはできません(山口観光事件・最一小判平8.9.26裁判集民180号473頁参照)。
そのため,懲戒事由は,懲戒当時使用者が認識しているものに限られます。
オ 前記イ(ウ)の「解雇権の濫用」
(ア) 使用者の懲戒権の行使は,当該具体的事情の下において,それが客観的に合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には権利の濫用として無効になります(ダイハツ工業事件・最二小判昭58.9.16裁判集民139号503頁参照)。
(イ) そのため,労働者は,懲戒事由が就業規則に定めのあるものに該当する場合であっても,懲戒権濫用の評価根拠事実を主張して,懲戒処分としての減給の有効性を争うことができます。
他方で,使用者は,懲戒権濫用の評価障害事実を主張して,懲戒処分としての減給が有効であることを示していきます。
(4) 前記(2)イの「降格(懲戒処分としての降格を除く。)による減給」
ア 降格(懲戒処分としての降格を除く。)による減給とは
降格(懲戒処分としての降格を除く。)処分は,職種を限定した雇用契約であるといった事情や人事権濫用に該当するといった事情がない限り,業務命令(人事権の行使)として行うことができます。
この降格処分に伴い,賃金が減額されることがあります。
イ 降格(懲戒処分としての降格を除く。)による減給の無効原因
(ア) 降格(懲戒処分としての降格を除く。)による減給の無効原因には,人事権の濫用があります。
(イ) そのため,労働者は,人事権濫用の評価根拠事実を主張して,降格による減給の有効性を争うことができます。
他方で,使用者は,人事権濫用の評価障害事実を主張して,降格による減給が有効であることを示していきます。
(5) 前記(2)ウの「就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づく減給」
ア 就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づく減給とは
就業規則において,毎年一定の時期に査定を行って,会社の業績悪化や本人の成績などによって翌年度の賃金額を決定する旨の定めがある場合で,その定めに基づいて就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づく減給がなされることがあります。
イ 就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づく減給の無効原因
(ア) 就業規則において,毎年一定の時期に査定を行って,会社の業績悪化や本人の成績などによって翌年度の賃金額を決定する旨の定めがある場合で,その定めに基づいて就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づいて減給が実施された場合,その査定が違法と評価される場合には,就業規則の賃金減額条項または査定条項に基づく減給が無効とされます。
(イ) そのため,労働者は,査定が違法であることについての評価根拠事実を主張して,減給の有効性を争うことができます。
他方で,使用者は,査定が違法であることについての評価障害事実を主張して,減給が有効であることを示していきます。
(6) 前記(2)エの「就業規則の変更による減給」
ア 就業規則の変更による減給とは
(ア) 使用者が,新たな就業規則の作成または変更によって,労働者の既得の権利を奪い,労働者に不利益な労働条件を一方的に課すことは,原則として許されません。
もっとも,当該規則条項が合理的なものであれば,個々の労働者において,これに同意しないことを理由として,その適用を拒むことは許されません(秋北バス事件・最大判昭43.12.25民集22巻13号3459頁参照)。
(イ) そのため,就業規則の変更により減給がなされることがあります。
(ウ) もっとも,最一小判平1.9.7裁判集民157号433頁が,「既に発生した具体的権利としての退職金請求権を事後に締結された労働協約の遡及適用により処分,変更することは許されず,就業規則の変更についても,同様の理由により遡及効を認めることはできない。」と判示していることからすれば,就業規則の変更は減給に先立って行われたものであることを要します。
イ 就業規則の変更による減給の無効原因
(ア) 就業規則を変更したことにより減給が生じた場合で,変更後の就業規則に合理性がないときには,変更後の就業規則に基づく減給は無効となります。
(イ) 就業規則を変更したことにより減給が生じた場合には,使用者は,変更後の就業規則に合理性があることについての評価根拠事実を主張して,減給の有効性を示していきます。
他方で,労働者は,変更後の就業規則に合理性があることについての評価障害事実を主張して,減給の有効性を争います。
(ウ) 就業規則を変更したこと自体で減給が生じたものではなく,就業規則上の賃金体系を変更し,かつ,労働者に対する格付けを見直した結果,減給となることがあります。
この場合,労働者に対する格付けが人事権の濫用となる場合には,減給が無効となります。
(エ) 就業規則を変更したこと自体で減給が生じたものではなく,就業規則上の賃金体系を変更し,かつ,労働者に対する格付けを見直した結果,減給となる場合には,労働者は,当該格付けが人事権の濫用であることについての評価根拠事実を主張して,減給の有効性を争います。
他方で,使用者は,当該格付けが人事権の濫用であることについての評価障害事実を主張して,減給の有効性を示していきます。
(7) 前記(2)オの「労働協約による減給」
ア 労働協約による減給とは
(ア) 労働協約は,労働者に不利益な事項についても規範的効力を有します(朝日火災海上保険(石堂・本訴)事件・最一小判平9.3.27裁判集民182号673頁参照)。
そのため,労働協約の作成または変更により減給されることがあります。
(イ) 労働協約が適法に締結された場合,締結された労働協約に基づき,当該労働組合の組合員である労働者について減給することは適法です。
(ウ) 他方で,締結された労働協約に基づき,当該労働組合の組合員でない労働者について減給することについては,当該労働協約を特定の未組織労働者に適用することが著しく不合理であると認められる特段の事情があるときには,無効となります(朝日火災海上保険事件・最三小判平8.3.26民集50巻4号1008頁参照)。
当該労働協約を特定の未組織労働者に適用することが著しく不合理であると認められる特段の事情があるかどうかは,以下のa.~c.などから判断されます。
a. 特定の未組織労働者にもたらされる不利益の程度・内容
b. 労働協約が締結されるに至った経緯
c. 当該労働者が労働組合の組合員資格を認められているかどうか
イ 労働協約による減給の無効原因
(ア) 締結された労働協約に基づき,当該労働組合の組合員でない労働者について減給することについては,当該労働協約を特定の未組織労働者に適用することが著しく不合理であると認められる特段の事情があるときには,無効とされます。
(イ) そのため,当該労働組合の組合員でない労働者は,前記ア(ウ)a.~c.についての評価根拠事実を主張して,減給の有効性を争うことができます。
他方で,使用者は,前記ア(ウ)a.~c.についての評価障害事実を主張して,減給が有効であることを示していきます。
(8) 前記(2)カの「労働者の同意または合意による減給」
ア 労働者の同意または合意による減給とは
(ア) 労働者の同意を得てまたは使用者と労働者が合意に達することで減給となることがあります。
(イ) もっとも,就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める合意は無効となることから(労働基準法第93条),就業規則上,主任には主任手当が支給されることとなっているのに主任に対し主任手当を支給しない旨の合意をするなど,就業規則に反する内容の同意または合意は無効となります。
イ 労働者の同意または合意による減給の無効原因
(ア) 減給に関する労働者の同意が自由な意思に基づいてなされたものであることを要するという裁判例(更生会社三井埠頭事件・東京高判平12.12.27労判809号82頁)の立場からすれば,労働者の同意が自由な意思に基づいてなされたものでない場合には,減給は無効となります。
(イ) この立場からすれば,労働者は,同意が自由な意思に基づいてなされたものでないことについての評価根拠事実を主張して,減給の有効性を争います。
他方で,使用者は,労働者の同意が自由な意思に基づいてなされたものでないことについての評価障害事実を主張して,減給の有効性を示していきます。
(ウ) 給与体系の変更について提案された際に即座に異議を述べず,振り込まれた金額が少ないことにも異議を述べなかったことから,黙示の承諾を認めた裁判例(エイバック事件・東京地判平11.1.19労判764号87頁)の立場からすれば,労働者が異議を述べていない限りは減給は有効となります。
年3分の割合による金員
令和2年(2020年)4月1日より改正民法が施行されるとともに商事法定利率を定めた規定が削除されたことから,在職中に請求できる遅延損害金の利率は年3%(年3分)となります。
令和2年(2020年)4月1日より以前における,在職中に請求できる遅延損害金の利率は商事法定利率年6%(年6分)です。
なお,退職日の翌日以降に請求できる遅延損害金の利率は年14.6%となります(賃金の支払の確保等に関する法律第6条第1項,同法施行令第1条)。
評価根拠事実
解雇権の行使が濫用されたかどうかといった抽象的な要件を規範的要件といいます。
このような規範的要件そのものが主張立証の対象とはならず,主張立証の対象となるのは,このような規範的要件を基礎づける具体的な事実や規範的要件を否定する具体的な事実となります。
このうち,規範的要件を基礎づける具体的な事実を「評価根拠事実」といいます。
評価障害事実
「評価障害事実」とは,規範的要件を否定する具体的な事実をいいます。
解雇権が濫用されたかどうかといった規範的要件の場合,評価根拠事実と並んで,評価障害事実も,当事者の主張立証の対象となります。