9 労働災害(労災)
(1) 労働災害(労災)と保険給付
ア 労働災害(労災)とは
労働災害(労災)とは,労働者が,通勤中や業務中に発生した怪我や病気を指します。
労働災害(労災)には,以下の(ア)及び(イ)があります。
(ア) 業務災害
労働者の業務上の負傷,疾病,障害または死亡(労働災害補償保険法第7条第1項第1号)
(イ) 通勤災害
労働者の通勤による負傷,疾病,障害または死亡(労働災害補償保険法第7条第1項第2号)
イ 労災補償制度の特徴
労働災害(労災)が生じた場合に労災給付を行う労災補償制度には,以下の(ア)~(ウ)の特徴があります。
(ア) 業務上の災害に対する使用者の無過失責任
(イ) 身体的損害のみを対象としており,物的損害や精神的損害(慰謝料)は対象とはならないこと
(ウ) 損害の全額ではなく一定割合を補填するものにすぎないこと
ウ 労災給付の内容
労働災害(労災)であると認められた場合に,怪我や病気の程度に応じて支給される給付には以下の(ア)~(ク)があります。
(ア) 療養(補償)給付
療養(補償)給付とは,業務災害または通勤災害による傷病により療養するときに,労災指定病院または診療所の場合には必要な診療を受けることができ,指定されていない病院または診療所の場合には必要な療養費用が支給されるものです。
(イ) 休業(補償)給付
休業(補償)給付とは,業務災害または通勤災害による傷病の療養のため労働することができず,賃金を受けられないときに,休業4日目から,休業1日につき給付基礎日額の60%相当額が支給されるものです。
(ウ) 休業特別支給金
休業特別支給金とは,休業(補償)給付の対象となる日について,給付基礎日額の20%相当額が支給されるものです。
(エ) 障害(補償)給付
a. 障害(補償)年金
b. 障害(補償)一時金
障害(補償)一時金とは,障害の程度に応じ,給付基礎日額の503日分から56日分の一時金が支給されるものです。
第 8 級 503日分
第 9 級 391日分
第10級 302日分
第11級 223日分
第12級 156日分
第13級 101日分
第14級 56日分
(オ) 障害特別支給金
障害特別支給金とは,障害(補償)給付を受給できる者に対し支給されるもので,障害の程度に応じて金額が定められています。
(カ) 遺族(補償)給付
遺族(補償)給付労働者の業務上の死亡について,遺族に対し給付されるものです。
遺族(補償)給付には,以下のa.及びb.があります。
a. 遺族(補償)年金
業務災害または通勤災害により死亡したときに,遺族の数などに応じて金額が定められています。
b. 遺族(補償)一時金
以下の(a)または(b)の場合に,給付基礎日額の1000日分の金員(ただし,以下の(b)の場合には既に支給した年金の合計額を差し引いた金額)が支給されるものです。
(a) 遺族(補償)年金を受けることのできる遺族がない場合
(b) 遺族(補償)年金を受けている人が失権し,かつ,他に遺族(補償)年金を受けることのできる人がない場合であって,既に支給された年金の合計額が給付基礎日額の1000日分に満たないとき
(キ) 遺族特別支給金
遺族特別支給金とは,遺族(補償)年金または遺族(補償)一時金を受給できる者に対し300万円が支給されるものです。
(ク) 葬祭料・葬祭給付
葬祭料・葬祭給付とは,業務上死亡した労働者の葬祭を行う者に対し,31万5000円に給付基礎日額の30日分を加えた額(ただし,その額が給付基礎日額の60日分に満たない場合には給付基礎日額の60日分)が支給されるものです。
エ 労災保険給付の請求手続(労災申請)
労災保険給付の請求手続(労災申請)は,通常,事業者が行っています。
もっとも,この請求は,事業者が,労働者を代行して(いわば労働者への「サービス」として)行っているものにすぎず,労働者自ら申請することが制限されているものではありません。
事業者が労災保険給付の請求手続(労災申請)を行ってくれない場合には,労働者が自ら労災保険給付の請求手続(労災申請)を行うことができます(具体的には,労災保険の給付請求書を,労働基準監督署長宛てに提出することとなります。)。
労災保険の給付請求書を受け取った労働基準監督署長は,業務上外の認定をして給付に関する決定をします。
オ 労災保険給付請求に関する決定に対する不服申立て
(ア) 労働基準監督署長による「業務外」という認定に不満があったり,「業務上」という認定は得られたものの認定された障害等級(ひいては給付される金額)や認定された給付基礎日額(ひいては給付される金額)に不満があったりする場合があります。
(イ) このような場合,原則として,以下のa.の手続によるほかなく,その手続における決定に不服がある場合にはじめて以下のb.の手続によることができます。
また,以下のb.の手続における決定に不服がある場合にはじめて以下のc.の手続によることができます(裁決前置主義/労働災害補償保険法第35条第1項,第37条)。
a. 労災保険審査官に対する審査請求
b. 労災保険審査会に対する再審査請求
c. 裁判所に対する訴訟提起
(2) 労働災害(労災)と損害賠償請求
ア 労働災害(労災)における損害賠償請求とは
労災補償制度においては,損害の全額ではなく一定割合を補填するものにすぎないこと(前記(1)イ(イ))及び身体的損害のみを対象としており,物的損害や精神的損害(慰謝料)は対象とはならないこと(前記(1)イ(ウ))という特徴があります。 このように,労災補償制度における労災保険給付が,労働災害(労災)における損害のすべてをカバーしているわけではありません。 そこで,労働者は,労災補償制度における労災保険給付でカバーできない損害について,別途,使用者などに対して損害賠償を請求できる場合があります。労災補償制度においては,損害の全額ではなく一定割合を補填するものにすぎないこと(前記(1)イ(イ))及び身体的損害のみを対象としており,物的損害や精神的損害(慰謝料)は対象とはならないこと(前記(1)イ(ウ))という特徴があります。
このように,労災補償制度における労災保険給付が,労働災害(労災)における損害のすべてをカバーしているわけではありません。
そこで,労働者は,労災補償制度における労災保険給付でカバーできない損害について,別途,使用者などに対して損害賠償を請求できる場合があります。
イ 労働災害(労災)における損害賠償請求の根拠
(ア) 労働災害(労災)における損害賠償請求の根拠の大枠
労働災害(労災)における労災保険給付が使用者の過失を問題にしない(無過失責任)であるのに対し,労働災害(労災)における損害賠償請求を行うには,使用者の過失などを主張立証する必要があります。
労働災害(労災)における損害賠償請求の根拠としては,以下のa.またはb.があります。
a. 安全配慮義務違反
b. 不法行為
(イ) 前記(ア)a.の「安全配慮義務違反」
安全配慮義務とは,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方または双方が相手方に対して法令上負う義務をいいます。
この義務に違反しているということが,労働災害(労災)において損害賠償を請求する根拠となります。
(ウ) 前記(ア)b.の「不法行為」
ある者が他人の権利ないし利益を違法に侵害する行為をした場合に,加害者に対して被害者の損害を賠償すべき債務を負わせるものが,不法行為に基づく損害賠償請求であり,これも安全配慮義務違反と並んで,労働災害(労災)において損害賠償を請求する根拠となります。
労働災害(労災)における損害賠償請求の根拠となる不法行為の種類には,以下のa.~d.などがあります。
a. 一般的な不法行為(民法第709条)
b. 使用者責任(民法第715条第1項)
c. 注文者責任(民法第716条)
d. 工作物責任(民法第717条)
ウ 損害賠償請求における損害項目と症状固定
労働災害(労災)における損害賠償請求における損害項目を考えるにあたって,「症状固定」という概念が重要であること,症状固定日までに認められる可能性のある損害項目及び症状固定日後に認められる可能性のある損害項目については,交通事故における損害賠償請求と同様です。
詳しくは, (2)後遺障害事案における「症状固定」概念の重要性 をご覧ください。
エ 過失相殺・寄与度減額
(ア) 過失相殺・寄与度減額の対象となる場合
労働災害(労災)における損害賠償請求がなされた場合,労働者に過失が認められたり,労働者側に損害の拡大に寄与した要員が認められたりする場合には,過失相殺・寄与度減額の対象となり,損害額が減額されます。
過失相殺・寄与度減額が問題となるケースには,以下のa.~c.があります。
a. 労働者の保護具着用義務違反などによる過失相殺
b. 労働者の不注意による過失相殺
c. 労働者に損害の拡大に寄与した要因がある場合の寄与度減額
(イ) 前記(ア)a.の「労働者の保護具着用義務違反などによる過失相殺」
事業者は,労働者の危険または健康障害を防止すするために講ずべき措置を義務付けています(労働安全衛生法第20~26条)。
他方で,労働者は,使用者が高ずるそれらの措置に応じて必要な事項を遵守することが義務付けられています(労働安全衛生法第26条)。
使用者が保護具などを準備しているのに,労働者がその保護具を着用していないような場合には,保護具着用義務違反として,過失相殺(民法第722条第2項)の対象となります。
(ウ) 前記(ア)b.の「労働者の不注意による過失相殺」
労働者が労働災害(労災)に遭った際に,不注意があったと認められるときには,過失相殺(民法第722条第2項)の対象となります。
(エ) 前記(ア)c.の「労働者に損害の拡大に寄与した要因がある場合の寄与度減額」
業務上の加重な負荷や長時間労働に耐えかねて自死(自殺)したような場合に,労働者自身の性格も影響したようなときには,労働者に損害の拡大に寄与した要因があるとして寄与度減額の対象となります(過失相殺の規定が類推適用されます。)。
オ 損益相殺
(ア) 損益相殺とは
損害賠償の発生原因が生じたことにより,債権者が損害を受けたのと同時に利益を受けた場合,その利益分を損害賠償額から控除することを,損益相殺といいます。
使用者に対する損害賠償を請求する場合には,労災保険給付を受けたときにその労災保険給付の金額が差し引かれることを意味します。
もっとも,以下の(イ)に記載するように,労働災害(労災)における損害賠償請求に関し,労災保険給付のすべてが損益相殺の対象となるわけではありません。
また,労災保険給付のうち損益相殺の対象となるものであっても,充当される対象が限られます。
(イ) 労災保険給付と損益相殺
労災保険給付のうち,損益相殺の対象となるかどうか,損益相殺の対象となるとしてどのような扱いになるかについては,以下のa.~d.のとおりです。
a. 療養(補償)給付
損益相殺の対象とはなりますが,治療費にのみ充当されます。
b. 休業(補償)給付,障害(補償)給付(障害(補償)年金及び障害(補償)一時金)
休業(補償)給付や障害(補償)給付(障害(補償)年金及び障害(補償)一時金)は損益相殺の対象となります。
もっとも,労働者に対する災害補償は,労働者の被った財産上の損害のためにのみされるものであって,精神上の損害の填補の目的をも含むものではありません(最一小判昭37.4.26民集16巻4号975頁,最一小判41.12.1民集20巻10号2017頁参照)。
そのため,休業(補償)給付や障害(補償)は労働者の財産上の賠償請求権にのみ充てられるべき筋合のものとなり,慰謝料請求権には及びません。
休業(補償)給付や障害(補償)を受領したからといって,その全部または一部を精神上の損害を填補すべきものとして認められた慰謝料から控除することは許されないこととなります(最三小判昭58.4.19民集 37巻3号321頁参照)。
c. 特別支給金(休業特別支給金,障害特別支給金及び遺族特別支給金)
特別支給金(休業特別支給金,障害特別支給金及び遺族特別支給金)は,損益相殺の対象とはなりません。
d. 葬祭料・葬祭給付
損益相殺の対象となりますが,葬祭料にのみ充当されます。
(ウ) 損益相殺の対象が限られることなどによる影響
a. 交通事故を原因とする損害賠償請求において被害者の過失が大きな場合でも被害者の過失が100%というときでなければ,多少減額されることはあっても,自賠責保険金が支払われます。
交通事故を原因とする損害賠償請求において被害者の過失が大きい場合には,自賠責保険金は被害者の慰謝料部分にも充当されるので,被害者に生じた損害額すべてが受領した自賠責保険金によって填補され,受領した自賠責保険金を超える請求ができないことがあります。
b. 労働災害(労災)における損害賠償請求において被害者の過失が大きな場合でも被害者の過失が100%というときでなければ,多少減額されることはあっても,労災給付がなされます。
労働災害(労災)における損害賠償請求において被害者の過失が大きい場合には,労災保険給付は被害者の慰謝料部分に充当されるものはありません。
そのため,被害者に生じた損害額のうち,慰謝料部分については労災給付を受領したからといってそれにより填補されることにはならないので,慰謝料部分については請求可能です。
例えば,入院2か月・通院3か月の療養が必要になった上で後遺障害等級第10級に該当する後遺障害が残存した労働災害(労災)が生じた場合で労働者の過失が8割というときには,入院2か月・通院3か月の療養が必要になった場合の入通院(傷害)慰謝料154万円,後遺障害等級第10級の後遺症慰謝料550万円となるので,入通院(傷害)慰謝料として30万8000円(=154万円×(1-0.8)),後遺症慰謝料として110万円(=550万円×(1-0.8))は請求可能ということとなります。
業務上外
「業務上」という認定がなされれば,労働災害(労災)と扱われ,労災保険給付が受けられます。
他方,「業務外」という認定がなされた場合,労働災害(労災)とは扱われず,労災保険給付を受けることができません。
労災保険給付が受けられるか受けられないかを決める,この判断や認定を,「業務上外」判断とか「業務上外」認定といいます。