5 婚姻費用分担請求
(1) 標準算定表(標準算定方式),改定標準算定表(改定標準算定方式)
夫婦は,相互に扶助義務があるので(民法第752条),別居したとしても離婚が成立しない限りは,収入の多いほう(多くは夫/以下「義務者」といいます。)から収入の少ないほう(多くは妻/以下「権利者」といいます。)に対し離婚するまでの生活費(婚姻費用)の支払義務を負います。
その婚姻費用の金額は,基本的に夫婦双方の収入に応じて定められます。
その基準として,従前は,「簡易迅速な養育費等の算定を目指して-養育費・婚姻費用の算定方式と算定表の提案-」(判例タイムズNo.1111(2003.4.1))が定めた標準算定表(標準算定方式)が用いられました。
しかし,令和元年12月23日に改定標準算定表(改定標準算定方式)が公表され( 「平成30年度司法研究(養育費,婚姻費用の算定に関する実証的研究)の報告について」 ) ,以後はこの改定標準算定表に基づき婚姻費用が算定されることとなります(この改定標準算定表以前に取り決められた婚姻費用についてはその取り決めどおりのままで,改定標準算定表による影響を受けません。)。
(2) 婚姻費用分担請求の有用性
権利者が義務者に請求できる婚姻費用は,権利者が未成熟の子を養育していない場合には権利者自身の生活費となり,権利者が子どもを養育している場合には権利者自身の生活費+未成熟の子の養育費となります。
夫婦間で離婚が成立した後には,権利者が未成熟の子を養育していない場合にはなにももらえず,権利者が未成熟の子を養育している場合には未成熟の子の養育費しかもらえません。
そのため,大半のケースでは,離婚が成立するまでの間のほうが離婚成立後より多額の費用を支払ってもらえます。
この差が生じることから,婚姻費用分担請求は,離婚するまでの生活費を確保するというだけでなく,権利者が有利な離婚条件を獲得するための有力な手段にもなっています。
(3) 婚姻費用分担の始期
婚姻費用分担の始期については,現在の実務ではその「請求時」とすることでほぼ固まっています。
そして,遅くとも婚姻費用分担請求調停を申し立てたときが「請求時」となることには争いがありません。
もっとも,調停申立以前に「請求」したことが認められればその「請求」した日の属する月からの婚姻費用の支払義務が生じることとなります。
とはいえ,その申立てが遅くなった場合に申立以前に口頭で請求したかどうかが争いになることもよくありますので,請求する側からすればなるべく早急に調停を申し立てるのが無難です。
(4) 専業主婦の場合の収入の取扱い
婚姻費用の金額は,夫婦双方の収入に応じて定められますが,権利者が専業主婦でまったくの無収入だとしても,必ずしもまったくの無収入として扱われるとは限りません。
満3歳未満の子供がいて就労できないといったような事情がある場合を除いて, 平成30年賃金構造基本統計調査 などの「短時間労働者の年齢階級別1時間当たり所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」に基づいて算定される平均賃金額程度(125万円程度)は稼ぐことのできる稼働能力を有しているとして扱われることが多くなっています。
(5) 婚姻費用分担額から控除される既払額
婚姻費用分担を請求した場合に,婚姻費用分担の「請求時」からの分の婚姻費用分担義務が認められますが,他方で,その時期以後にも,義務者が婚姻費用分担を求める権利者の生活費を支払っていた場合には,その支払っていた金額が既払いとして控除されることとなります。
既払いとして控除されるものには,権利者の居住する住宅の賃料,駐車場代,水道光熱費,NHK受信料,保険料,子の学費や学習塾代などがあります(ただし,住宅ローン返済額については後記(8)記載のとおり,ごく一部しか既払いとして控除されない扱いが一般的です。)。
夫婦が別居した後でも,権利者の居住する住宅の賃料等を義務者が同人名義預金口座からの自動引落しの方法により支払続けている例は多く,婚姻費用分担額よりも既払額が多くなる結果,現実に受け取ることができる金額がほとんどなくなることがあり得ることに注意する必要があります。
(6) 有責配偶者からの婚姻費用分担請求の取扱い
権利者が自ら不貞をした上で未成熟の子を連れて別居したような場合には,義務者は未成熟の子の養育費相当部分についてのみ支払義務があり,権利者の生活費分までは負担しなくてよいという扱いが実務上定着しています。
(7) 有責配偶者に対する婚姻費用分担請求の取扱い
義務者が自ら不貞をした上で権利者と未成熟の子を置いて別居したような場合であっても,婚姻費用分担額の増額自体は認められないという扱いが実務上定着しています。
もっとも,夫婦が別居した後でも,権利者の居住する住宅の賃料を義務者が同人名義預金口座からの自動引落しの方法により支払っているような場合,本来であれば賃料全額が既払いとして控除されるのにかかわらず,義務者の有責性に鑑みて賃料の半額程度しか既払いとして控除されない(その結果として実質的に婚姻費用分担額の増額認められる)ということはあります。
例えば,給与所得者の夫の年収(税込)600万円,給与所得者の妻の年収200万円,妻が14歳以下の子ども2人を養育していて,妻と子ども2人の居住する住宅の賃料が月額10万円でその全額を夫が同人名義預金口座からの自動引落しの方法により支払っている場合,改定標準算定表に基づく婚姻費用分担額は月額12万円となり,義務者が有責配偶者でなければ賃料の負担のほかに支払義務が認められる金額は月額2万円ですが,義務者が有責配偶者の場合には賃料の負担のほかに月額7万円の支払義務が認められるということとなります。
(8) 住宅ローン返済の取扱い
夫婦が別居した後も,権利者の居住する住宅のローンを義務者が負担し続ける例は多くみられます。
この場合にどのように取り扱うかについては様々な考え方がありますが,現在の実務上もっとも主流の考え方は,「住宅ローンの返済はもっぱら資産維持のための負担であり婚姻費用分担額を決めるに際しては原則として考慮しないが,他方で権利者は賃料等を負担しないですむ利益を得られているから,その権利者はその収入に応じた標準的住居費相当額のみ婚姻費用分担額から控除する」というものです。
給与所得者の夫の年収(税込)600万円,給与所得者の妻の年収200万円,妻が14歳以下の子ども2人を養育していて,妻と子ども2人の居住する住宅のローンが月額10万円でその全額を夫が同人名義預金口座からの自動引落しの方法により支払っている場合,改定標準算定表に基づく婚姻費用分担額は月額12万円となり,年収200万円に応じた標準的住居費は2万6630円となるので(司法研修所編『養育費,婚姻費用の算定に関する実証的研究』(2019,法曹会)31頁),夫は住宅ローン月額10万円に加えて9万3370円(=120,000(円)-26,630(円))の婚姻費用支払義務を負うこととなります。
多額の金融資産を有しているような場合を除き,義務者が住宅ローンを返済しながら婚姻費用の支払を続けることは不可能であることが多く,婚姻費用の支払を求められた場合には住宅ローン返済を停止せざるを得ないことが多くなります。
そのため,権利者が婚姻費用を請求する場合にも,義務者が住宅ローン返済を停止する可能性を考えておく必要があります。
(9) 子どもの私立学校の学費等の取扱い
権利者が未成熟の子と同居し義務者と別居している場合で未成熟の子が私立学校に通っているときには,私立学校の学費等がかかります。
義務者が子どもが私立学校へ進学することを承諾している場合やその収入及び資産の状況等からみて義務者にこれを負担させることが相当と認められる場合には,婚姻費用の算定にあたり,私立学校の学費等を考慮する必要がある(婚姻費用分担額を増額させる必要がある)という考えが実務上定着しています。
子どもが私立学校に進学している場合,ほぼすべてこの要件を充たしてしまうので,私立学校の学費等を考慮する必要があることとなります。
標準算定表及び改定標準算定表ともに,公立学校の費用分の金額(司法研修所編『養育費,婚姻費用の算定に関する実証的研究』(2019,法曹会)39頁)については既に考慮済であるので,私立学校の学費等からこの公立学校の費用分の金額を控除した残額を,夫婦の基礎収入に応じた金額で按分するという方法により,婚姻費用分担額に学費加算が認められることとなります。
(10) 子どもの学習塾代の取扱い
権利者が未成熟の子と同居し義務者と別居している場合で未成熟の子が学習塾に通っているときには,子どもの学習塾代がかかります。
義務者が子どもが学習塾に通うことを承諾している場合やその収入及び資産の状況等からみて義務者にこれを負担させることが相当と認められる場合には,婚姻費用の算定にあたって学習塾代を考慮する必要がある(婚姻費用分担額を増額させる必要がある)という考えが実務上定着しています。
子どもが学習塾に通っている場合,ほぼすべてこの要件を充たしてしまうので,学習塾代を考慮する必要があることとなります。
この場合,標準算定表及び改定標準算定表ともに,公立学校の費用分の金額(司法研修所編『養育費,婚姻費用の算定に関する実証的研究』(2019,法曹会)39頁)には学習塾代は含まれていないので,学習塾代については,その全額を,夫婦の基礎収入に応じた金額で按分するという方法により,婚姻費用分担額に学費加算が認められることとなります。
(11) 成年に達している子どもの取扱い
子どもが成年に達し,既に就労しているような場合には,婚姻費用分担額の算定にあたっては,その子どもはいないものと扱われます。
しかし,子どもが成年に達している場合であっても,「自己の資産または労力で生活できる能力」がないと未成熟の子とされ,その子どもの養育費の分も必要となります。
もっとも,成年に達した子の場合には,通常の未成年の子よりその子どもに対する養育費の負担が軽くなるように調整されるのが一般的です(ただし,その調整の仕方についてはケース・バイ・ケースとなります。)。